助産師さんとの対談で、お話を聞いてる間、ちょっとした絶望を感じながら、自分の言いたいことを十中八九我慢していた。なのでちょっとここで吐き出したい。
私には2人の子どもがいる。上の子はカナダの病院で産んだ。25年前だ。。
カナダに住んで5年くらいの頃、友人から、子どもを産むならここカナダで産んだ方がいい、と強く勧められた。彼女は、一人目を日本で、二人目をカナダで産んでいる。彼女曰く、日本の病院で産むと、何をされるか分からない(彼女の感想)、剃毛、浣腸、会陰切開、ありとあらゆる嫌なことをされる。なのにここカナダの病院では、自分の病室でアロマキャンドルをつけて、好きな音楽CDを持ち込んで聴き、好きなように過ごせる(リラックスするために好きなようにできる)。もちろん剃毛、浣腸などはされないし、個室にシャワー室がついていて自分は陣痛の時ずっとシャワーを浴びていた。子宮口に頭が見えて慌てて病室に戻ってそのまま産んだ、と。これほどまでに日本とカナダと違う、ここにいるんだから、ここで産んだ方が絶対にいい、というのが彼女の主張だった。
その彼女から、ホームドクターを紹介してもらった。そのホームドクターは小児科医だった。カナダでは小児科医と産婦人科医がお産の介助ができる。
カナダ(ブリティッシュコロンビア州)は皆保険で、外国人であっても3ヶ月滞在すると保険に入れる。所得額ごとに納入金が決められ低所得者である私たちは少ない納入金で医療を無料で受けられるのだ。日本では名目お産は病気じゃないからという理由で保険対象から外されているけれど、カナダではお産も保険対象だ。しかも無料。
人々は医者に診てもらいたいと思ったら、まずホームドクターのところへ行く。そこで処置できない時に、大きな病院を紹介されたり、他の専門家の医者を紹介されるのだ。だから妊娠したら、まずホームドクターのところへ行く。そして、私が住んでいたバンクーバーでは、お産は基本Women’s Hospitalという大きな病院で産む。日本のように個人の医師が自分の医院でお産を介助するわけじゃない。市内に住む人はほぼ全て、この病院で産むのだ。
妊娠してホームドクターのところへ行って、検査薬で妊娠を確かめ、出産予定日を教えてもらい、ここで内診もした。そして彼は次のように説明した。「病院で産むけれど、僕が取り上げることもできるし、病院の中に(病院付きの)助産婦さんがいて、彼女たちが取り上げることもできる。自由に選んでね。僕を選んでくれた場合は僕が休みでない限り僕が取り上げるから。」と。
そして病院で産むときの周産期の流れを一通り聞いて、その仕組みの説明が書いてあるパンフレット一式を渡される。その中には子どもを授かるにあたっての必要な情報がこれでもかっていうくらいに入っていた。
そしてこの仕組みに則って産む人が受けるべき産前教室の説明をしてくれる。この産前学級に出席することはマストだ。必ずこの講座を受けなければならない、と説明を受ける。全8回。日本で言われるママさん学級みたいなのを想像して気軽に行ってみると、これが全然気軽ではなかったのだ。いざ行ってみると、きちんと名簿があり、その講座に参加する人たちの住所と予定日が書かれた名簿を配られ、全8回、必ずパートナーと一緒に参加しなければならない、と釘を刺される。一緒に参加する人は、夫じゃなくてもいい、ただ一定の人でなければならない。今日はこの人、次回はあの人という具合にはいかないのだ。妊婦をサポートするからにはそれだけの責任を持つべき、ということなのだろう。そしてこの講座の講師は、助産師としてバリバリ働いてきた女性で、かなり革新的な人なのにはとても驚いた。彼女がくれた資料には、どうしたら女性が気持ちよく産むことができるか、ということがわかる情報が満載されていた。どうやって自身のバースプランを作るのか、ということはもちろん、どういうふうに医者に質問したらいいのか、さらにはどうしたら医療介入を防げるのか、こんな時にはこんな医療介入が予想される、そういう時にはこういう代替選択肢がこれだけあるよと、そういうことが細かく書かれてある資料を使ってのまさに『講義』だった。
さらに、出産後の母乳育児のことについてもとても詳しい。母乳育児の、赤ちゃんにとっての利点と不利点、お母さんにとっての利点と不利点のチャートがあって、そこには赤ちゃんにとっての不利点は「なし」と書かれてある。そして母乳育児での予想される事態についてとそれの解決法なども書かれてあり、実際に授乳中のお母さんと赤ちゃんが来てくれて、どうやって授乳させるのかを実演してくれたのだった。
基本的に、日本のように医者と業者が癒着していないので母乳育児を強力に勧めている。それは一部の助産師さんの考えではなく社会全体の風潮だった。思い出すのは、近所に住む友人が子どもを結構小さく産んで、母乳をあげていたのだけれど、一般的な赤ちゃんのように体重が増えない。赤ちゃんの体重が増えなくて一番心配なのはお母さんなのだけれど、その赤ちゃんを見てくれたホームドクターは、他の赤ちゃんの平均を大分下回ってはいるけれど、その赤ちゃんの増え方を見れば増え方は少ないけれど確実に増えているのだから、このまま母乳だけで大丈夫と、お母さんを励まし続けたのだ。その友人はとても嬉しそうにその話をしてくれた。日本ではすぐに人工乳だの、白湯だの、果汁だの言うけれど、カナダで一人目を産んだ私も100%母乳だった。余談だけれど、母乳で育てている間は赤ちゃんのウンチが臭くないのだ。口から肛門までバイ菌が一切入ってないから、赤ちゃんが泣いてる時の息がいい匂いだし、うんちも全く臭くない。
この産前学級の資料には、マタニティーブルーについて特段書かれているわけではないけれど、確かにそのことについて教師が話していたし、公共から得られるマタニティーブルーについての情報はそこらじゅうに溢れていた。その時に知ったハーブが今流行りのセントジョンズワートだ。そんな代替医療の情報もありこちにあった。「お産子の家」の助産師さんとの対談で、日本では周産期の死亡より出産後の自殺の方が多く行政もやっと動き始めた、という話があったけれど、25年前のカナダではそれを見越したお母さんへの援助を社会が後押ししてたなぁと思う。
さて対談でも話に出たエコーは、カナダでは2回(紙面では1回と言っていますが、2回に訂正です)。一番安定する17週に1回と臨月に1回。問題がなければこれだけ。そしてエコーをする前にエコーの技師から性別を知りたいか知りたくないか、あらかじめ聞かれる。そういうマニュアルのようだ。
そのエコーを受ける前には、先輩ママから「赤ちゃんはね、エコーを嫌がるのよ」と聞かされていた。電磁波を当てられるわけだから、当然と言えば当然なのだけれど、日本ではこれを受診のたびに受けると聞き、驚愕したものだ。で、かくして私のお腹の子どももだいぶ逃げたので、エコーを撮り終わるのにかなり時間がかかった。
そして私は病院で一人目を産むのであるが、結局私の出産は、回旋異常で赤ちゃんの頭が私の仙骨に当たり激痛に苛まれる。どれだけ痛いかって、ダンプカーに乗られてガタンガタンと腰を砕かれる感じ。病院に着いたときには車椅子に乗せられ、受付済んだらストレッチャーに乗せられ病室に運ばれて、こんなに痛いのに子宮口は開かなくて絶望してたら、回旋異常だから静脈注射(痛み止め)を打ちましょうと医師から告げられる。回旋異常で静脈注射を打ったら会陰切開に辿り着き、次々と医療介入される、ということは産前教室で予習済み。で、私の口から出てきた言葉は、「No Episiotomy(会陰切開)!!」。会陰切開はイヤって叫んだのだ。そしたら医者は、この可哀想な東洋人の娘は何を言い出すのだろうと思ったのだろう、一度聞き返した後に、「No Episiotomy」となだめるように私に言ったのだった。ホントかよと思いながらも私は観念して静脈注射を受けることにする。私たち夫婦の承諾を得て麻酔専門の医師が静脈注射をすると、母は痛くなくなるけれど、子宮の中の赤ちゃんはビックリして、子宮の中で便を漏らしてしまったらしい。しかも陣痛が進むと心音が薄くなるという。多分臍の緒が首に巻かれているのだろう、という診断。結局、会陰切開をしようと提案される。かん子も使うと言われる。イヤやなーと思いつつも、これまた習った通りだ。そして当たり前だけど、私たちに医療介入の説明をして承諾を得なければ、医療従事者は何もしないし、できない。結局ギリギリまで待って私は頑張って力むのだけれど、最終的には会陰切開、かん子をちょっと使って一人目は生まれたのであった。臍の緒は二重に首に巻きついていた。
後産がすむと、ずっとついてくれていた看護師(助産婦でもある)さんが、私の子宮膜と胎盤を持ち上げて私に見せてくれ、ここにこういうふうに胎盤がついててここに赤ちゃんがいたのよ、と説明してくれた。その看護師さんは、オランダから来た助産婦さんで、バンクーバーではとにかく帝王切開を減らそうとしているのよと教えてくれた。妊婦達が安易に帝王切開を選ぼうとしていた時代があったから、と。出産も無料だったから、帝王切開が増えるとそれだけ保険料が嵩むという事情があるのだ、と。
医療介入オンパレードの私の初産だったけれど、全ては習った通り予想通りのことだったし、カナダの医療技術の高さを感じたし、それ以上に医療の理念の高さにも感動したのだった。そして愛情たっぷりの医療関係者が標準だということも。
私の陣痛が来たのが木曜日の深夜、それから28時間後の土曜日の出産だったため、結局ホームドクターではなく当直の医師に取り上げられたのであった。知ってるホームドクターだったから『病院付きの助産師』じゃなくて『医師』を選んだのに…。とがっかりしたのだけれど、当直の医師は、私との初対面で「No Episiotomy」の会話をした後、痛みがなくなって団欒している病室に入ってきて、まずは自分の名前とどこの病院のドクターかと自己紹介をして、「自分にも乳飲み子を含んだ子どもが(4人だったか5人だったか覚えてないけれど)いるから、一度家に帰ってくるねー」と言って病院を去ったのだった。その1時間後くらいには「帰って来たよー」と声をかけてくれた。また出産後にも何度か部屋に「どう?」と様子を見に来てくれる。「泣いてばっかり」と私がいうと、「そりゃー赤ちゃんだもの」と言いながら赤ちゃんを抱いて顔をくしゃくしゃと撫で回したのだった。子どもはこうやって愛でるんだよと教えられた『初めの一歩』だった。また、結局取り上げてもらえなかったホームドクターも一度病院に様子を見に来てくれたのだった。その後病院は出産後48時間で出されるのだけれど、まあどうせ何もしてくれないから、家に帰れてホッとする。いや、夜も眠れず母乳をあげるという戦いに入っていくのだった。
長くなるけれど、下の子の話もしなければならない。
下の子の出産の前に友人の自宅出産に立ちあった私は、やっぱり次は自宅出産だわ、と当然なる。自宅出産した彼女はいわゆるV-Back。一人目も自宅出産を希望していた。さらにエコーも拒否していて、臨月に入った頃に、看護師で幼馴染でもある親友に、胎盤の位置がどこにあるかくらい知っておいた方がいい、と言われて、臨月の最後の方に初めてエコーを受けた。すると前置胎盤だということが分かり、即入院、で帝王切開だったのだ。一人目を帝王切開で産んだ彼女は、二人目こそはと自宅出産をしたのだった。その頃、カナダでも医師会の方が力が強く、独立助産師達は、運動をしつつもまだもぐりでもあった。自宅出産はできるけれど、正式には認められていない、という状況。そこからとんとんとんと助産婦達が広く女性達の力をバックにいろんなものを勝ち取っていく。私が二人目を妊娠した頃には、少ないながらも独立助産婦達が自身のクリニックを持ち始めた頃だった。私はホームドクターではなく紹介してもらった独立助産婦さんのクリニックに通った。同じ女性どうして気持ちよくクリニックに通うことができた。けれど、出産時には帰国することが決まっていたので、並行して滋賀で助産婦さんを探すのだった。そして今から思えば当然だったのだけれど、朝比奈順子さんと巡り会えたのだ。安定して飛行機に乗れるのは臨月に入ってから。帰国直前にカナダで通った助産婦さんに何に気をつけたらいいかアドバイスを求めたら、日本の助産婦さんにこれだけは訊いておきなさいと言われたことは、出血に備えてルート確保/点滴ができるか、胎児心拍モニター/分娩監視装置があるかどうか、会陰が傷ついた時に縫合できるか、ということだった*。いざ帰国してそのことを助産婦さんに尋ねると、縫合もできないし、機器も使えない、日本では助産婦は何もできないんだと言われた。日本の助産婦さん達はできないことだらけ。医師会の力が強すぎて、何もできないではないか!と、あと1ヶ月で産まれるというのに絶望に打ちのめされるのだ。あの時のことは今でも思い出したくもない悪夢だ。絶望で心も体も退廃しながら、出産に関する本を読み漁り、そうか日本の助産婦さんの技術は、医療介入が何もできない分、素晴らしく高いのだと、安心したかと思えば、本当に大丈夫か?とまたどん底に陥るという、気持ちはジェットコースターのように上がったり下がったり。そんな悪夢の1ヶ月を過ごしてさあ出産となれば、やはり日本の助産婦さん達はすごかったのだ、まるで魔女のようなのだ。あとからこの話をV-Back自宅出産の彼女に話したら、そう言えばカナダの助産婦さんは訴訟も多いのだ、と。なるほど、日本の助産婦さん達は、医療介入できない分、技術が高くそれがそれが継承されて今に至り、医療介入できない分慎重にことを進めるのだろう、と思う。となると、日本に住んでて助産婦さんにお産を助けてもらわない手は、ないのではないか? そして日本の産婆の高い技術を後世に繋げなければならないのではないか? と思うのだ。
という以上『助産婦さんと一緒に産む』ススメでした。
*現在は日本でも、輸液ルートの確保・維持輸液、産後止血目的での子宮収縮剤投与、会陰裂傷の縫合は、臨時応急手当として助産師が行うことができます。分娩監視装置も多くの助産所が備えるようになりました。